価値観の多様化
ニュージーランドで子どもを育てていて思うのは、自分の価値観をそのまま子どもにあてはめることはできないということだ。5歳の娘は今年の2月から現地の小学校に通っているが、周りにいるのは日本人ではない。生徒もそうだし先生もそうだ。当然、日本のやり方や考え方が学校では通じないこともあるだろうし、価値観も大きく違う。国が違うのだから当たり前のことだ。
私が小学校1年生の頃は、日本は高度経済成長期で、日本の経済はどんどん右肩上がりに成長していくとほとんどの人が信じていた頃だ。それと同時にサラリーマンの給料も、右肩上がりに上がっていくとたいていの大人は思っていたし、その時代は実際にそうだったのだろう。
私が小学校高学年頃になると、友達の何人かは放課後に塾に行きだした。学校の勉強についていけない生徒だけではなく、中学受験や将来の大学進学を視野に入れた学力をつけるための塾も多かった。日本の経済が右肩上がりで、サラリーマンの給料も右肩上がり。そして将来その右肩上がりの波の上のほうに乗るためには、大学を卒業したらすぐにいわゆる大企業に就職する必要があり、大企業に就職するためには、いわゆるいい大学に入学する必要がある。いい大学に入学するためには、小学校の頃から学力を人よりも上げなければならない。だから進学塾に行くのだ、という雰囲気があった。つまり、進学塾で成績の伸ばすことが、将来の経済的な安定につながるという価値観を多くの人が持っていた時代だった。
でも今のニュージーランドで、進学塾に通っている小学生はほとんどいない。なぜなら、いい大学に入って一度大企業に就職すれば、将来の経済的な安定につながる、という考え方が人々にないからだ。だから、私が小学生の時の価値観をそのまま今の小学生にあてはめようとしても、三角の枠に円のピースをはめるように、全く当てはまらない。だからといって、日本からの移民としてニュージーランドで暮らしている私たちとしては、ニュージーランドの価値観をそのまま自分達の生活に導入するわけにもいかない。
だから、自分達は自分達で独自の価値観を持って、子どもを育てていかなければならない。子どもにとって幸せとは何なのか。それに対して親は今なにができるのか。そういうことをいつも考えて、ゴールセッティングをして、毎日子育てをしていかなければならない。見本などないし、マニュアルもない。時には不安にもなる。でも、毎日生きていかなければならないし、時間は確実に過ぎていく。自分が育った国以外で子育てをするということは、そういうことだ。
でも少し考えてみると、今の日本でも、親の価値観をそのまま子どもにあてはめて子育てをすることはできない時代だ。なぜなら、同じ日本という場所ではあるけれど、時代が大きく変化しているからだ。私が子どもの頃の価値観とニュージーランドの価値観が異なっているように、日本国内であっても、親の子どもの頃の価値観と今の価値観は大きく異なっている。経済が右肩上がりで成長し、収入も右肩上がりだという現実はもやはないし、いわゆる大企業に一度入ってしまえば定年まで収入が保証される、とは限らないことはみんなよくわかっている。
つまり今の時代、進学塾に通って、大学入試を突破するような学力をつけても、昔のように将来の経済的な安定にはつながらない、ということだ。
だから、今の日本で子どもを育てるときも、海外で子育てをするときと同じように、自分達は自分達で独自の価値観を持って、子どもを育てていかなければならないだろう。子どもにとって幸せとは何なのか。それに対して親は今なにができるのか。そういうことをいつも考えて、ゴールセッティングをして、毎日子育てをしていかなければならない。
もちろん見本などないし、不安にもなるだろう。でも、大きな時代の変化の中では、過去の価値観をそのままあてはめて行動することは難しいのだ。
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