Decision Making
例えば、ある人が誰かを脅したり、うそをついたり、何かよくないことをしたりしたとき、私たちはよく、「あの人はそういう人だ」などと言う。つまり、その人が取った「行動」に対してではなく、そういう行動を取った「人そのもの」に対して、批判をしたり文句を言ったりする。
ニュージーランドでも同じように「人」に対する批判や文句もあるだろうが、それに加えて、「その人の判断」を問題にすることが比較的多いように思う。
少し前の話になるが、2009年6月に、フランス代表の若いラグビー選手がニュージーランドでオールブラックスと試合をした後、ウエリントンでニュージーランドの暴漢に襲われて怪我をした、というニュースがあった。一時は大騒ぎになったが、実は暴漢に襲われたというのはその若い選手のうその証言で、本当は酔って自分ひとりでホテルの部屋でこけて頭を打った、というもので、おそらく周りのフランスの選手もそのことを知っていたということだった。
それに対してオールブラックスの監督のGraham Henry 氏はその選手自身に対する批判は一切しなかった。そして、次のように語った。
「これは、単に若い選手の判断ミスということだろう?」
「このケースでは、彼らは明らかに誤った判断をした。ただ、同じようなことは、フランス人であれ、オーストラリア人であれ、ニュージーランド人であれ、若い人たちには往々にして起こることだ。」
「私たちはニュージーランドの若い選手達には、いつも正しい判断をしてほしいと願っているが、常にそうとは限らない。」
つまりGraham Henry 監督は、フランスの選手自身を責めているのではなく、彼や周囲の選手が下した判断が悪かった、と言っているのだ。そしてオールブラックスの選手にも、品行方正な態度を求めているのではなく、何かがあったときに正しい判断を下すように求めている。
だから、そのときの判断が悪かったということであれば、その選手は自身の性格や人格ではなく、判断に対してきちんと反省して次の判断に生かせばいい、ということにもなる。
オールブラックスの監督がフランス代表の若い選手に言及しているという状況だから、特にこういうものの言い方になったのかもしれない。でも、他の状況でも、人自身や人格や性格が問題にされるのではなく、そのときに下した Decision Making のみが問題にされることが、ニュージーランドでは比較的多いように感じる。
言い換えれば、その瞬間瞬間にそれぞれの人が下す判断(Decision Making)がとても大切だ、ということだ。
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