ニュージーランドと日本の大きな違いの一つは

今日、ある高校の留学生担当のスタッフと日本人高校留学生と3人で話をしていて、ニュージーランドと日本の大きな違いの一つは、「言わなくてもわかる」か「言わないとわからない」かという点だ、という話になった。

日本では、自分が「こうしたい」とか「こんなことはしたくない」とかいうことがあっても、他の人にはっきりということをはばかられることが多い。例えば、友達の家に午前中に遊びに行って、ランチにピザでもとろうと誘われた時、「私はピザが嫌いなのでハンバーグがいい」とか「今日は午後から用事があるので帰ります」とか、なかなか言えない。せっかく誘ってくれているのだから相手に対して悪い、と思ってしまい、自分の考えていることをはっきりとは言えない。そして、嫌いなピザを我慢して笑い顔を作って食べることになる。それで人間関係が「うまく」いく。あるいは、それで人間関係が「うまく」行くと思っている。

ニュージーランドでは、友達の家に行って、嫌いなピザを注文しようか、と誘われた時、「私はピザよりもハンバーグがいい」とはっきりと言う人のほうが多いと思う。もちろん、十分に相手を気遣う言い方をするが、結論としてははっきりと自分の感じていることを相手に伝える。そして、言われた方もはっきりと言い返す。例えば、「ハンバーグは私はあまり好きではないので、中華はどうだろう」とか、相手の言ったことも受け入れながら自分の主張も同時にして、両方にとってベターな着地点を探そうとする。結果的に、中華料理を二人で食べて、人間関係もうまく行く。どちらかが嫌いなものを我慢して、でも顔では笑いながら食べるということはない。ニュージーランドでは、自分が提案したピザに対して嫌いだという友達のほうが、嫌いなピザを我慢して食べている友達よりも、好まれる。「何故嫌いなのにはっきりと言わないのか。何故嫌いなのに我慢して笑顔を作ってまで食べるのか。」と言われる。

日本では、自分が提案したピザを嫌いだと言われるのもすごく傷つくし、友達が嫌いなピザを我慢して食べているのもやはり傷つく。だから、嫌いなピザを食べている友達のことを気づかないというのが、人間関係には一番いいし、気づいても気づかないふりをするのもいい方法だと思われているのではないか。そうやって、言わなくてもわかっているよ、という関係を続けようと努力する。

留学生にとって、特に高校留学生などの若い人にとっては、こういう、経験しないとなかなかわからない文化の違いが、時には大きなショックとなる。何故、どうすればいいのか、と悩んで、何も言えなくなったり、人と接するのが億劫になったりする。でも、長い目で見ればその経験は悪いことではないし、一度ショックを受けるのも、人生の中ではいいことだと思う。ポイントは、そのショックの後、どうするのか。やはり、自分である程度はっきりと自分の感じていること、したいこと、したくないことを言うようにしていく、というちょっとした努力が必要だ。そして、こういう経験をして、ショックを受けて、それをもとに自分を変えてみたり、違う方法をトライしてみたりして、うまくいったり、うまくいかなかったりする。それら全てが留学のいい経験だと思うし、そういう経験を通して、異なる文化を理解し、自分自身も成長していくのだと思う。

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