本を読むということ
寝る前には少しだけ本を読む。
本にもいろいろとあるけれど、中には読んでいて、目からうろこが落ちる経験をしたり、感動して涙が出そうになったり、嫌な気分になったり、頭が混乱したり、胸につかえていたものがすっと取れたような気分になったり、わくわくしたり、何かをひらめいたり、いろいろする。
でも、よく考えてみれば、本を読むという行為は、単に日本語の文字を目で追っているだけだ。例えば、ドイツ語で書かれた本を開いても、目からうろこは落ちないし、涙も出ないし、嫌な気分にもならない。なぜなら、そこに書かれている文字は単なる記号にしか見えないし、そこから何も理解することができないからだ。
そう考えると、本を読んで脳や心が動くというのは、簡単に言えば、単に記号を目で見ているだけで脳や心が動かされている、ということだ。記号から人間が作用を受けている。
そんなことを言えば、映画や音楽でも感動したり、わくわくしたりするじゃないかと思うけれど、映画や音楽は、例えば、ニュージーランド人でも日本人でも、フランス人でも、共通してわくわくしたり、感動したりもできる。でも本を読むという行為には、文字と言葉を理解している、つまり、記号を読み解く力がある、という前提が欠かせない。だから余計に、記号の記号たる所以が強調される。つまり、映像や音楽のように、五感を使って感じているという感覚ではなく、脳で記号を処理して、それが脳や心に作用している、ということを強く意識するのだ。
何故、文字という記号を目で追うだけで、目からうろこが落ちる経験をしたり、感動して涙が出そうになったり、嫌な気分になったり、頭が混乱したり、胸につかえていたものがすっと取れたような気分になったり、わくわくしたり、何かをひらめいたりするのだろうか。
だから、本を読むのは面白い。
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