以心伝心、空気を読む、あうんの呼吸
ニュージーランドで、いろんな国からの移民やニュージーランド人たちと一緒に仕事をするときには、日本流の、以心伝心や、空気を読む、あるいはあうんの呼吸などというものは、全く通用しない。
話さなくてもこの状況なら自分の考えていることは理解してもらえるだろうとか、空気を読んでその空気を乱さないようにきっとみんな行動するだろうとか、こちらがこう言えば相手は必ずそれなりの答えを返してくるだろう、などと考えていると、全く話が食い違うし、物事が思うように進まない。
以心伝心や空気を読む、またはあうんの呼吸の代わりに、ニュージーランドの人たちは、基本的にどんどん主張をする。もうわかっている、ということでも何度でも主張するし、その場の雰囲気などあまり考えずに主張するし、こちらが想像しないようなことも主張してくる。とりあえず自分の主張をする、というところから物事が始まる、と言ってもいいくらい、どんどん主張する。
例えば、明らかに仕事でミスをおかした人でも、その理由を必ず主張してくるし、そのやり方ではまずいだろう、という仕事の仕方をしている人でも、「いいや、これでいいんだ。なぜならば。。。」と自分の考えを主張する。また、特に自分と相手の利害が簡単に一致しない場合は、双方がどんどん自分の考えを主張する。
そしてニュージーランドでは、ほとんどの場合、たとえそれが言い訳だとわかっている状況でさえ、聞き手は一旦は相手の言い分に耳を傾けることが多い。そしてそれから自分の主張をする。
私は日本とニュージーランドでしか仕事をしたことがないので、他の国のことはよくわからないが、以心伝心や空気を読む、あうんの呼吸などが通じる国は、日本以外ではそう多くはないだろうと思う。だから、日本以外の国の人たちと接するときには、そういったものは通用しない、と考えるべきだ。そして、通用しない代わりに、人々は強く自己主張をしてくるということも頭に入れておくべきだと思う。
そしてそれに対処するためには、相手の言い分は一旦きちんと聞いた上で、自分の主張をきちんとすることが大切だ。そのときにも、以心伝心や空気、あうんの呼吸などというものは頭から全て排除して、そんなものは全く通用しないと心してかかるのがいい。
日本を一歩出たら、そこでは日本の常識が通用しない。そして日本の常識が通用しないところが世界では大半である、ということも覚えておくべきだと思う。
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