自分のことを「私」と言わない

以前にもこのブログでも書いたかもしれないけれど、ニュージーランドで英語を母語とする就学前の小さな子ども達は、当然だけれど自分のことを「I」と表現する。「I want to eat this」などと言う。

でも、日本の小さな子ども達の多くは、自分のことを「わたし」とか「ぼく」ではなく、自分の名前で呼ぶ。「○○はこれがほしい」などと言う。中には「私はこれがほしい」と言う子どももいるのかもしれないけれど、日本語を母語とする子どもの中でも特に女の子は、自分の名前を主語にすることが多いように思う。中には、大人になっても自分を自分の名前で呼ぶ人もいる。

自分のことを、「I」と表現するか、自分の名前で呼ぶかは、文化の違いや言葉の構造の違いと言ってしまえばそれまでなのだけれど、言葉を発している子ども達の視点からすると、何か決定的な違いがあるように思う。

自分で自分のことを「I」という時、そこには「私自身が」という意志が含まれているように思う。他の誰でもなく「自分が」という気持ち。一方、「○○」と自分のことを自分の名前で呼ぶ時、どこか客観的に眺めている視線を感じるし、自分の中のもう一人の自分、あるいは、中心にある軸としての自分の外側の自分が、「自分」について話しているような感じを受ける。

実際には子ども達はそんな違いを意識してはいないだろうけれど、いつも「I」と言っている人と、いつも「○○」と言っている人では、自分に対する意識がだんだん違ってくるだろうし、それにともなって、自分と他人との関係、距離感、そして、自分と世界との関わり方なども違ってくるように思う。

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