今日と同じ明日が来るとは限らない
明日は何が起るかわからないよと言われたとき、「そんなことないよ」と断言できる人はもう少ないのではないか。明日は何がおこるかわからないことは、多くの人が実感として知っている。
何が起るかわからないのは、自分自身に対してだけではなく、家族、友達、地域、国、そして、地球や宇宙レベルでも同じだ。宇宙にはダークマターなどというわけのわからないものがあるのだから、明日地球がその影響を受ける可能性もあるだろう。
今日と同じ明日が確実に来るとは限らない。地球規模で何かが起るかもしれないし、自分だけに何かが起るかもしれない。目の前の明日の景色は今日と同じでないかもしれないし、自分は同じ状態ではないかもしれない。
今日と明日の境目で人生が二つに大きく分かれるかもしれない。
そんな可能性があるのなら、例えば数日前に誰かに言われた一言に傷ついたとずっと気に病んでいるとか、今朝通学途中で嫌な思いをして腹が立つ、などということは、とても小さくくだらないことだろう。
もし今までずっと続いてきた時間の流れが今日で終わって、明日から違う時間が流れることがわかっていたとすると、そんな一言に今日一日ずっと傷ついているだろうか。そんなことにずっと腹を立てているだろうか。
まさかそんな時間はないだろう。
今日と違う明日が来るかもしれないと考えたときに、今、それをするのか、そんなことを考え続けるのか、それにこだわり続けるのか。もっと他に、今日すべきことはないのか。今日しかできないことはないのか。今日すべきことを明日に延ばしてもいいのか。
今日と違う明日が来るかもしれないということをある程度実感として知っているのなら、今日一日そのつもりで生きて行くのがいいに決まっている。くだらない、取るに足りない、明日の自分には関係のないことに、こだわる時間はない。
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