努力が報われるかどうかわからないからこそ

昨日のこのブログ「努力は報われるのか?」で、

「ゴールを設定したら、たとえそれが100%確実には報われない可能性があったとしても、とにかく今日一日はゴールに向かって少しでも進む。ゴールとはそういうもので、努力とはそういうものだと思う。」

と書いた。

「そんなんじゃあ、努力なんてできないし、それでは、ゴールを低めに設定すればいいんではないか?」とおっしゃるかたもいるかもしれない。

確かに、今やっている努力が確実に報われるかどうかわからない状態で、努力を継続するのは難しい。だったら、確実に報われるゴールを設定すればいい、と考えるのもうなずける。

しかし、以前にも書いたけれど、十代の中学高校生は、想像できないようなゴールを設定するのがいいと思う。その想像できないようなゴールを何とかイメージしながら、毎日やるべきことをやっていく。そうすることで、ゴールを設定しない生活とは違う生活になるし、成長もする。

だからこそ、そのゴールは、自分が「楽しい」と感じる対象であることがとても大切だと思う。また、そのゴールに向かって進んで行くための努力も、「楽しい」必要があるだろう。

「たとえそれが100%確実には報われない可能性があったとしても、とにかく今日一日はゴールに向かって少しでも進む。」

というのは、

「努力の結果を何かと引き換えることが予想できるから、嫌でもやり続ける」

ということではない。

今現在の努力、もう少し言えば、「今現在の嫌々やっている努力」と「ゴール」は、バーターではない。ゴールという果実が手に入るから、今はがまんして嫌なことを努力してやり続ける、ということでは、決してない。

もし今、ゴールを設定してそれに向かって毎日努力していることが、嫌で嫌で仕方がないのなら、おそらく何かが間違っている。ゴール設定が間違っているか、毎日の努力が間違っているか、そもそもの考え方が間違っているかだ。

わくわくするような、楽しいと感じるような、そんなゴールを設定したら、そのゴールに向かって、毎日楽しく努力する。

だからこそ、ゴールを設定したら、たとえそれが100%確実には報われない可能性があったとしても、とにかく今日一日はゴールに向かって少しでも進む。ゴールとはそういうもので、努力とはそういうものなのだ。

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