変わった人の時代
ここ何年か、仕事で日本に滞在することが多くなってきた。
私は30年以上日本で暮らしてからニュージーランドに移住したけれど、日本に滞在するたびに、自分が他の人と少し違う雰囲気を持っているように感じるし、周囲の人達にもそんな風に言われることもある。
また長期の留学生達は、例えば高校3年間留学して日本に帰ると「帰国子女」などと呼ばれる。そう呼ばれるのはいいのだけれど、帰国子女という言葉には、過去の経験を表しているのと同時に、ずっと日本の学校に通っていた人とは少し違う人、というニュアンスがあるように思う。
そして、私が日本に滞在している時に感じているのと同じように、帰国子女と呼ばれる元留学生達も、自分は周囲の人達とは少し違う雰囲気を持っていると感じるだろうし、周囲の人達にもそんな風に言われることもあるだろう。
元留学生と話をすると、「そんなところが少し生きづらい」と言う。
日本の同年代の人達と話が合わなかったり、考え方が違っていたり、幼く見えたり、何が言いたいのかよくわからないと感じたりするそうだ。おそらくそれは帰国子女を見る日本の人達も同じように感じているのだろう。周囲の人達からはっきりと「変わっている」と言われることもあるようだ。
でも、それでいいのだと思う。「帰国子女」と呼ばれて、「変わっている」と言われることは、全く悪いことではないし、逆にこれからの時代、他人と違う人の方が活躍できる社会がやってくると思う。
帰国子女に限らず、周囲の人とどうも話が合わなかったり、考え方が違っていたりする人は、自分が人と違うことを誇りに思って、自分を無理に変えようなどとせず、そのままの自分で生きて行くのがいいと思う。
自分の個性を持って、それをそのまま表に出して、その上で、周囲の人達と「うまく」コミュニケーションを取って生きて行く。コミュニケーションをどう「うまく」とるかも自分で考えればいいし、周囲の全ての人と仲良くなる必要はない。
私も日本に行くと感じるけれど、帰国子女と呼ばれる人達や、日本でずっと暮らしている一部の人達も感じている、自分は周囲の人達と少し違うという感覚。その感覚を大切にしながら、それを個性として誇りを持って表現し、周囲の人達とコミュニケーションを取りながら生活していく。そうすると、少しは楽に生きられると思うし、自分の個性を活かして何かができるようになると思う。
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