グローバルと言うけれど
最近日本語で「グローバル」という言葉をよく目にする。
もともとの意味は、「地球上の、世界的な、全世界にわたる」などの意味だ。だから、「グローバル人材」などと言うのは、全世界に渡って活躍できる人材、というような意味で使われているのだと思うし、「グローバル化」などと言うのも、(日本だけではなく)世界的なものになる、という意味なのだと思う。
ただ今はまだ、グローバルという言葉は、日本で暮らす人や企業が、日本を出て海外で行動するという意味に限定されているように思う。
でも私が思うのは、「グローバル」を理解する基本は、「いろいろある」ということで「共存する」というころにある。それは、日本から海外に出て自分を他に合わせて一緒になる、ということではなく、自分が海外に出ようが、海外から誰かが日本に来ようが、「いろいろあることを受け入れた上で一緒に共存して行きましょう」ということだ。
だから、海外の文化や人に合わせて自分が変化するだけではなく、いろんな文化や人をまずは受け入れて、それぞれが違うことを前提に一緒にやっていきましょう、というのが、グローバルの基本的な意味だろう。
2020年には東京でオリンピック、パラリンピックが開催されるし、2019年には、日本各地でラグビーのワールドカップも開かれる。全世界から、異なる文化、異なる考え、異なる感じ方を持つ人達が、たくさん日本を訪れる。
電車に乗れば隣に海外から来た人達が座っていることもあるだろうし、レストランで隣のテーブルに日本語でない言葉で話す家族が食事をしていることもあるだろう。コンビニのレジにあまり見かけない服装をした人が並んでいることもあるだろうし、観光地で海外からのグループがゆっくりと歩いていることもあるだろう。もちろんスタジアムにはいろいろな人達がいる。
そんな人達は、自分が触れたことがない文化を持ち、自分が理解できない言葉を話し、自分が普段感じない感じ方をしている人達だ、ということを受け入れた上で接する。「ここは日本だから、日本のやり方で」などと、「一緒にしよう」とするのではなく、違いを受け入れるところから始める。
それがグローバルという意味の基本であり、ほんとうのおもてなしなのだと思う。
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