与えられない時間を過ごす
10日ほど前のニューズウイーク日本版に、「忙し過ぎる夏休みが子供の可能性をつぶす」というタイトルで、イギリス生まれで日本在住の翻訳家のコラムが掲載されていた。今でもオンラインでご覧頂くことができる。
「忙し過ぎる夏休みが子供の可能性をつぶす」
このコラムを書いた方のことは全く知らないし、どんなバックグラウンドをお持ちの方かもわからない。だから、どんな立場でこのコラムを書いたのかもわからないけれど、このコラムには共感できる部分があった。
イギリス生まれの彼は、日本の子ども達の夏休みの、宿題の多さ、コンクールへの応募の奨励、部活動の練習、林間学校などへの参加、ラジオ体操など、課題や行事がたくさんあることに驚いたという。それを彼自身のイングランドでの子ども時代の経験と比較して、「現代人は子供に最高の体験を与えようと必死だが、子供は本当に最高の体験をしているのか」と疑問を呈している。そして、「夏休みとは本来、子供の独立心と責任感を育む絶好のチャンス」なので、「想像力と創造力を駆使して退屈さを紛らわせる経験を積ませるべきではないか。」と言う。そして夏休みは親も1ヶ月の休暇を取って、子ども達と普段できない経験をするのがいい、と提案をしている。
最後の提案はともかく、子ども達が自由に使える莫大な時間があるとき、その時間を埋めるために周囲の大人がいろんなことを与えるのは、果たして子どもにとってプラスになるのだろうか、と問いかけることには、私は大きく同意する。
以前にこのブログでもかいたけれど(「暇でいいのだ」)、長期高校留学生達にとっても、学期の間のスクールホリデーの過ごし方が、留学生活の一つのキーポイントになる。特にロトルアなど大きくない街で留学している高校生のほとんどは、最初「暇だー」と言う。日本では暇をつぶす場所ややることが山のように与えられていたけれど、ニュージーランドではそれがない。だから、最初は暇な時間をどうやって過ごせばいいのかわからない。でも、「暇だー」と言っている留学生に、こちらがお膳立てをして何かすることを与えることは、彼ら、彼女らにとっていいことなのだろうか、といつも思う。上のコラムを書いた方同様、暇な時間が目の前にある場合は、「想像力と創造力を駆使して退屈さを紛らわせる経験を積ませるべきではないか」と私も思う。目の前にものすごく暇な時間があることで、自分でやることを考えて何かをする、という行動力、判断力を養うことができると思う。
もちろん最初からはうまくいかないだろう。最近は家の中にいながらスマホで簡単に外の世界とつながって、暇をつぶすこともできる。でも、それでは日本にいても留学をしていても、同じ時間の使い方になってしまう。
今いる場所、今の時間。そしてそこでしかできない経験。それは、留学中の学生達の周囲に必ずある。留学生達は「ニュージーランドには何もない」と言うけれど、真空の中で生活をしているわけではない。彼ら彼女らが言うのは、「日本にあるものがここにはない」ということだろう。あたりまえだ。暮らしている場所が違うのだから。それを経験するためにも留学に来ているのだ。
だから、その環境に自分から働きかけて、自分で想像力や創造力を駆使して、自分がやることを考えて、それを自分からやる、という経験をしてほしいと強く願っている。
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