何のために?
日本でもニュージーランドでもそうだけれど、高校では、英語(国語)、数学、理科、社会などの科目を勉強する。
長期の高校留学生達もニュージーランドの高校でアカデミックな科目を勉強するのだけれど、やはり数学は、数字が万国共通なだけあって、理解するのは他の科目よりは比較的簡単なようだ。
勉強方法も、日本もニュージーランドもほとんど同じで、先生から教わった事柄を自分で問題を解きながら理解していく。何度も似たような問題を解いて、できるようになったら別の項目、あるいはもう少し難しい同じ項目の問題を解く。そうやって、理解を定着させていく。
でも、数学の勉強をしたことのある方は経験があるだろうけれど、「これは一体何のためにやっているのだろう」と思うことがある。因数分解とか、幾何で補助線を引くとか、「これが一体なんの役に立つのだろう」と思いながら問題を解く。そして結局高校生の時には、「今度の試験で得点できるためにやっているのだ」という結論に落ち着く。
確かに、高校生にとっては目の前の試験はとても大切だ。人生を決める一大イベントになるかもしれない。でも、数学の問題を解いて理解を深めるのは、試験のためだけではないだろう。大人になってから実際に、因数分解をしたり補助線を引いたりすることは、ほとんどないけれど、数学の問題を解くことで養われたスキルや能力は、社会に出てから活かされることもあると思う。
どんな時にどの数学のどの項目が活かされるのですか?と聞かれると、返事に困るけれど、数学の問題を解くことで養われた「数学的思考能力」や「数学的態度」は、問題を解決するとき、論理的な表現をするとき、そして、条件を考えながら判断を下すときなどに応用できると思うし、数学の問題を解くときに使ったテクニック、例えば、図形をひっくり返して眺めてみるとか、順番に片っ端からできる方法をあたってみるとか、社会に出てから同じようなテクニックで問題を解決しようとしている、つまり、問題を解くこともある。
数学に限らずおそらく何でもそうだろうけれど、「一体何のためにやっているのだろう」と高校生の時に感じていることは、社会に出てから必ず何かの役に立つのだ、と信じて、目の前の課題に取り組むのがいいと思う。
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