なぜ嫌なことをずっとやり続けるのだろうか
私が子どもの頃の日本では、人が何か大きなことを成し遂げるためには、長い間ずっとがまんをして一つのことをやり続けることが必要だ、と多くの人が思っていた。
一つのことを成し遂げるときは、遊ぶことも、どこかに行くことも、息抜きをすることも、誰かに会うことも、いろんなことをがまんして、長い期間集中してやり続けてはじめて、大きなことを成し遂げることができる。
確かに、時代によってはそんな事実もあったのだろうし、今でもそんなことが求められる世界もあるのだろう。
でも、全てにこれがあてはまるわけではないということを、最近は、特に若い人達はわかってきているように思う。
スポーツでも、一年中、毎日、いろんなことをがまんして、練習して、最後に優勝する。勉強でも、友達が遊んでいる時にも、家族がテレビを見ている時にも、食事時間さえけずって勉強して、受験に合格する。
そんなことをしなくても、楽しみながらスポーツをして優勝し、いろんなことに時間を割きながら第一志望の学校に合格することもできる。そう考える人も増えてきていると思う。
確かに、目標を定めたらそれに向かって計画を立てて無駄を省いて進んで行くことも大切だろう。でも、何かを「がまん」したり、ましてや「嫌なこと」を延々とやり続けたりする必要はあるのだろうか?
もっと言えば、せっかく目標を定めて計画を立ててそれに向かって進んで行くのなら、その過程全てを楽しいものにすることはできないのだろうか?
「何を言っているのだ。何かを成し遂げるということは、がまんをすることが必要で、がまんは嫌なことなのだから、楽しさをそこに求めるのは間違っている」とおっしゃる方もいるかもしれない。
でも例えば、第一志望の大学を目指して、中学生の頃から受験勉強をするのなら、十代の貴重な6年間を、「がまん」して「楽しくない」勉強に費やすことになる。それでいいのだろうか?その結果、第一志望の大学に合格したとしても、その結果何を得ることになるのだろうか?
「楽しい」を優先するというと、「人生楽をして生きて行く」と意味を取り違える人もいるかもしれない。
そうではなくて、今日一日楽しかった!と寝る前に毎日感じなければ、80歳になった時に人生を振り返って、楽しい人生だった!と思えないだろう、と言うことだ。今日もがまんして、明日も嫌なことをして、明後日も好きなことをせず、その次の日も楽しく感じない人生の、どこがいいのだろうか?
何かを成し遂げるには長期間がまんして嫌なことをやり続けることが必要だ、なんてうそだ、と若い人に言われたら、それにきちんと反論できる大人はいるのだろうか。
なぜ嫌なことをずっとやり続けるのか、なぜ嫌なことをやり続けさせるのか。誰のために、何のためにそれをやるのか。そんな問いかけに、私達は十代の人達が納得できる回答を出せるだろうか。
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