シェアの時代
最近は、音楽をストリーミングで聴く方も多いと思う。
Apple やAmazon やGoogle などが、定額で聞き放題のストリーミングをやっている。楽曲数が少ないとか、好きなミュージシャンが入っていないとか、いろんな不満もあるだろうけれど、一定額を払えばいつでもどこでも何曲でも聴けるというのは、レコードやCDを買ったり借りたりして家で聴いていた我々世代からすると、夢のようだ。
今の時代の子ども達は、レコードはもちろんだけれど、CDを買ったり借りたりして家に持って帰って聴く、という経験をせずに大きくなる。そんな子ども達が大人になった時には、音楽は自分で所有するものではなく、ネットからストリーミングで送られてくるものだ、と信じて疑わないだろう。「CDを買う?意味わからない。」と言われる。
そして、音楽だけではなく、映画もすでにネットからのストリーミングの時代だ。今までの世代が買ってきて自分で「所有」して聴いたり見たりしていたものが、今の世代では「所有」するという概念自体がなくなっている。
音楽や動画に限らず、最近では車や自転車なども、個人で所有するのではなくシェアをする人達が出てきているようだ。東京や大阪などの交通機関が発達したところで暮らしていると、毎日車に乗る必要もないだろうし、必要のない車を持とうとも思わないだろう。週末必要な時だけ車を借りて乗る、というほうがはるかに安くて合理的だ。
こういう、いろんなものを「所有する」という概念がだんだん薄くなってきている世代が成長するにつれて、おそらくさらにいろんなものが「シェア」されるようになってくるだろう。
学校の文房具なども、必要な数を買って学校に置いておき、みんなで使うようにもなるだろう。実際、ニュージーランドの小学校などでは、各教室でペンや鉛筆、消しゴムやノートをシェアして使っているところも多い。また、若い人達はシェアハウス(ニュージーランドではフラットシェア)で暮らす人も増えてくるだろうし、衣類や、コンピュータや、スポーツ・芸術に使う道具や、土地でさえ、所有せずにシェアすることに抵抗がない世代も出てくるだろう。
そうなってくると、逆説的だけれど、最後まで何がシェアされずに「所有」されて残るのかに興味がわく。
このブログをご覧いただいている皆さんは、何をどこまで「シェア」してもいいとお考えだろうか?そして、これだけは絶対自分で「所有」するものは何だろうか?
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