本当にそうしなければならないのか?
普段「○○しなければならない」と思っていることは、実はそうでもないんじゃないだろうか。
例えば、留学中は現地の友達をたくさん作らなければならないとか、留学した限りは英語力をできるだけ向上させなければならないとか、高校を卒業したら必ず就職か進学のどちらかをしなければならないとか、資格と経験を身に付けなければならないとか、一日8時間週5日は最低働かなければならないとか、ニュージーランドで長く暮らしたければ永住権を取らなければならないとか、リタイア後の計画は早めに立てなければならないとか、だ。
「おいおい、ここでお前がそんなことを言ってどうするのだ。留学中に現地の友達をたくさん作ることは大切だし、留学して英語力を伸ばすのは当然だし、高卒で何もしないなど考えられないし、資格も経験も重要だし、週に40時間以下の仕事では食べていけないし、永住権なしでずっと暮らせるわけもないし、リタイア後のことを何も考えないわけにはいかないではないか。」とおっしゃる方もいるだろう。それもよくわかる。
でも、留学中に現地の友達を作る努力をしなくてもいいし、留学して英語力を伸ばそうと思わなくてもいいし、高校を卒業して就職も進学もしなくてもいいし、資格や経験を身に付けなくても、40時間働かなくても、永住権がなくても、計画がなくても、別にかまわないのも事実だろう。だから誰かに「何故○○しなければならないの?」と問われて、明確な理由を説明できることは意外と少ない。
留学に関して言えば、留学をしてそこで何をするのか、どんな目的を持って留学に来るのか、英語力はどのくらい人生の中で重要なのか、などは、基本的には留学をする人自身の問題で、何をして何を選ぶのかは、それをする本人自身が決めることだ。
だから、留学したら現地の友達をたくさん作らなければならないという考え方もあるけれど、そうしなくてもいいし、英語力はできるだけ伸ばすこともいいけれど、伸ばさなくてもいいし、高校卒業後は就職と進学の道があるけれど、それ以外の道を選んでもいいし、資格や経験も大切だけれど、それらに使う時間とお金を人生の別の部分に使ってもいいし、働きたくなければ働かなくてもいい、ということも理解しておくのはいいことだと思う。
例えば「留学中は現地の友達をたくさん作らなければならない」と思い込んでいる留学生に、何故現地の友達をたくさん作らなければならないの?と聞くと、きっと「何故だかはよくわからないです」とか、「周囲の人たちがそう言うからです」などという答えが返ってくるだろう。
私が言いたいのは、何となく「○○しなければならない」と思っていることから一旦解き放されて、最初の最初に戻って、「自分はどうしたいのか、そしてどうするのか」を自分自身でもう一度考えてみることも大切だ、ということだ。
もちろん、周囲の人は「○○しなければならない」と言うだろう。そしてそれは正しいことかもしれない。でも、まずは自分の気持ちを自分に問いかけて、あらゆる可能性、あらゆる選択肢を考え、最終的には自分で考えて選んでいくことの方が大切だと思う。なぜなら自分の人生なのだから。
だから、「私は留学して現地の友達をたくさん作ることはしないけれど、生涯の友人を必ず見つける」というのであればそれでもいいし、「留学中は英語力の向上よりも、いろんな場所を見て回ることを優先させる」のならそれでいい。
ただ、自分でよく考えて選んだ道でも、周囲の人は必ず「何でそんなことするの?」とか「それよりも別の道の方がいいよ」などと言う。でも、そう言われたときでも、「確かにそうかもしれません。でも、私は自分でいろいろと考えて、今はこの道を選んで進んでいるのです」と自信を持って言えばそれでいいと思う。
何となく「○○しなければならない」と自分が思い込んでいることは、本当にそうなのだろうか。何か別の選択肢もあるのではないだろうか。そんなことを、自分の本当の気持ちと相談しながら考えてみるのもいいと思う。
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